
50代になって初めての同窓会には行ってはならない
中学や高校での卒業式で、また会おうな。と笑顔でお別れをした遠い昔。
私もそのころは、こんなに毎日会っているのだから、すぐに会うことになるだろうなと思っていた。
しかし、あれから30年以上の長い月日を経て、卒業式に約束した友人とは1度も再開することはなかった。
私は、この経験で仕事を辞めたときも、これが最後のお別れだと思うのようになった。
人間、共通のコミュニティーを離れたら、もうその場に戻る可能性はゼロに近いのである。
突然来た同窓会の招待状
私の母親から1本の電話が来た。
どうやら高校の同窓会の招待状が実家に来たということなのだ。
コロナ禍の影響なのか、おそらく50歳の年にやろうとしていたのだろうか。
ようやくコロナが落ち着いてきた51歳の年に開催するとのことらしい。
封筒の中身を母親にみてもらうと、3か月後に同窓会をするという内容だった。
薄れていく記憶と参加への熱意
母親が読んだところによると、同窓会の参加不参加の返事をすることになっているらしい。
私は、しばらく考えて、何も返事をせず『不参加』を選択したのである。
何も返事をしないというのは、一生懸命この同窓会を主催してくれている委員の友に申し訳ないと考えたがあえてそうしたのである
目を閉じて、高校のことを思い出してみた。楽しかった思い出しかない。そんな学生生活だった。
友達の姿がなんとなくだが、思い浮かぶ。名前は何人かであるが覚えている。
そういえば、自分は何組だったのか?これは全然思い出せない。
担任の先生は、さすがに覚えている。わたしが50代なのだから、もう亡くなってもおかしいことではない。
たしかに、同級生が今どうしているのか知りたい気持ちはある。だがそれ以上でも以下でもない。
昔の友人はどんな風になっているだろうか。
同窓会に行くメリットとは、何だろうか。
いや、同窓会に出席するということは、そもそもメリットもデメリットもない。そう考える人もいるだろう。
それは、たった一つ、『同級生が今どんなことをやって、どんな風貌になっているかを知りたい』である。
私の通った高校は名門校でも伝統校でもない。
よって大して大物になったものもいないのは容易に予想ができる。
自分もその一人である。
そして自分の鏡をみると、高校時代のあのスリムでシャープな顔立ちは完全に失われている。
クラスで一番キレイな女の子がどうなっているのか?という淡い期待は20代の同窓会であり、それならば行く価値はあれども、50代の同窓会はそのメリットは皆無である。
そんなおじさんやおばさんの集まった同窓会なんて行きたくない。
よく同窓会にいくと、みんながあまりに歳をとって笑ったというエピソードがあるが、自分たちもまた例外ではない。
であれば、あの卒業アルバムのイメージのまま私は死んでいきたいと思っている。
50代の同窓会は生々しいから行きたくない
50代の同窓会は、使用前使用後の最終形である。
おそらく、同窓会の参加者は無意識で、自分の答え合わせの時間を過ごすことになる。
50代の同級生の近況を知れば後の人生は大方想像がつく。それだけ50代の同窓会は生々しい。
学生時代モテた人であっても、同窓会のときに輝いていない人もいる。
逆に目立たない人が、出世したり幸せな生活を営んでいるものである。
そういえば、高校卒業後すぐ、目立たない女の子が結婚したということを噂で聞いたことがある。
同窓会の話題と言えば、聞きたくもない子供の話や、自慢話、そして健康状態の話しかない。
まだ夢を抱いている時期でなく、もう走り抜けたあとの話、しかもまだ年齢的には定年前のため、その辺も中途半端である。
果たしてどれだけの人が参加するのか?
もし、同窓会に出席したとしても、私が受けた招待状は学年で行うものらしい。
生徒数1学年大体500人ぐらいはいただろう。
この中で出席するのはどれくらいかが気になり、YouTubeで同窓会の風景らしいものを参考にさせていただいた。
動画は楽しく行われているシーンが続き最後に先生(出席した)とクラスで写真を撮る場面になる。
すると、なんと1クラス10人、下手するとそれ以下なんてこともあるのである。
色々な動画を見させてもらったが、家庭に入り暇なのか、女性の出席率は割と高い感じがした。
そもそも1学年500人いたとして、自分はどれくらいの人と同じクラスになったのかといえば、体感100名ぐらいじゃないかと思う。
その中で、自分が覚えている人、相手が自分を覚えている人、そして出席率を考えた場合、それが本当に楽しいものになるのか、また意味があるのかさえ思えたのである。
もしかしたら、そもそも会いたい人に会いに行こうとしているのにいない場合もあるのである。
実際同級生と話す時間はどれくらい。
この同窓会は夕方で終わるようになっていた。
その後、各クラスに分かれてなのか、任意のグループなのかは知らぬが、二次会があることを想定されてのコトだろう。
もし、二次会があっても、その場の盛り上がりや、予定で帰ってしまう人が出てくる。
同窓会数時間のなかで、まず変わり果てた人が誰なのかという『答え合わせ』から始まり、近況報告をすることの繰り返しが想像される。
なんだかわからないが、確かに同じ学び舎で過ごした仲間であることは間違いない。
なんだかわからないが、確かに同じ学び舎で過ごした仲間であることは間違いない。
しかし何とも薄々しい関係性の同級生と何時間も過ごすという苦痛が待っているのだ。
同窓会の実行委員だけは絶対になってはいけない
そう考えると、同窓会の実行委員だけは絶対になるべきではないと感じている。
どのようにして実行委員が選出されたのか私は知らない。
もしかしたら立候補でなったのか、先生からの指名でなったのか、よく考えてもその経緯が思い出せない。
だけど、ならなくてよかったと思えた。
彼らは、ずいぶん前から予定を組んで計画をしていたので敬服するが面倒なものだったろうとおもう。
学校によって違うのだろうが、私の学校は卒業後30年を超えている。それまで同窓会は知る限り開催されていない。
私のような行方不明のモノもいるだろうし、50歳になればなくなっている人もいるかもしれない。
今は、ラインなどで友達とつながることもできるからわからないが、昔は住所と電話番号が記載された名簿のようなものが作られ配られた。
しかも、歴代の卒業生のデータもである。
今では考えられないことである。だからなのだが、高校卒業後、一度たりとも出会わなかった友人から、実家に連絡がきたのもそのせいである。
現在不遇な人は絶対出席するべきでない。
同窓会に出席する人は、暇な人、会いたい気持ちが勝った人、そして成功して幸せな人である。
それは自分がかんがえればいいことなのだが1つだけ言えることがある。
1番出席してはいけない人は、現在、不遇な人である。
私は、その中の一人である。
健康状態も思わしくなく、酒も飲めない。
おまけに独身である。これは絶対にバカにされる。(心の中で)
同窓会に出席するか迷っている人に伝えたい。
50代の同窓会はコスパは悪いのだ。
男の立場から言えば、女子に会うと言えど人妻で変わり果てた姿を見るだけである。
逆もまた然りであり、ただ腹の出た中年オヤジを目の当たりにするだけである。
逆もまた然りであり、ただ腹の出た中年オヤジを目の当たりにするだけである。
一度おススメするのはYouTubeで同窓会を検索してみてほしい。
ここにアップされている動画はとても楽しいようにみえるが、自分が実際出席したらどうかを想像してみると私は同窓会に出席することをやめる決断をした。
同窓会でビジネスに巻き込まれるというリスク
同窓会ビジネスにも1つコメントしておくと、今はスマホの時代だから、その場で思うように話が出来なくても、ライン交換をするということもあるだろう。
そんなのまっぴらごめんだと思う。
色々な仕事の営業に使われたり、宗教や政治活動の勧誘なんかも可能性としてある。
高校時代で途絶えた関係が、いまとなっては自分に必要でない関係だと分かった時、今さらライン交換をするというのはリスクでしかない。
また、同窓会を開催するときにサポートしてもらえる会社がある。
アプリがあり、それに登録することで、その後の連絡ができたりすることもあるらしい。
そして、それに登録すれば、同窓会当日の写真が閲覧できるようになっているのだ。
欠席したとしても、連絡しあえるような使用になっている。
私は、意地でもその登録をしないと決意しているところである。
同窓会に出席するとしたら60過ぎてから
私は、この考えを高校生の私にしたら、理解してもらえなかっただろう。
人の環境や考えというものは変わっていくものである。
だから、もし60過ぎてから同窓会があった場合どうだろうか。
この年齢になると、もう大勢が健康で会えるのが最後になるということを意識し始める。
そうなった時の私はそのときにならないとわからない。
今のような損得勘定がなくすがすがしい気持ちで参加することが希望できたなら、その時の私は心身ともに幸せなのかもしれない。